長岡の歴史


長岡の地に、人が住み始めたのは、約二万年前と推定されていますが、
歴史としての始まりは、今から約5千年ほど前の縄文中期の、
火焔土器で有名な馬高遺跡以降ではないでしょうか。

 古代の長岡は高志国造に属し、高志、越、古志と呼ばれており、
律令時代には、長岡付近には四つの荘園と二つの保があったことから、
京の都等、西国との交流/交易があったことも伺えます。

武士の時代となり、長岡もその支配大名も次々と変わりました。
室町時代は永らく長尾(上杉)氏の支配下にありましたが、
江戸時代、上杉景勝の会津移封にともない、大名は堀氏から松平氏、
また、堀氏と代わり、牧野氏の時代となりました。

 牧野氏は三河出身の譜代大名で、三河以来の伝統である、
「常在戦場の精神」を精神風土とし、「質実剛健」な気風をつくりました。

日本が明治を迎えようとした、幕末維新期。
幕府方の長岡は戊辰戦争に巻き込まれ、
戦火に城も町も村も、一面焼け野原になりました。

 明治時代を迎え、長岡は新しい指導者として、三島億二郎、小林虎三郎らが登場し、
米百俵物語として残るような、復興の努力をしました。

 昭和二十年八月一日、アメリカ軍のB29百二十五機による空襲によって
犠牲者千四百六十余名。市街地の85%以上が焼失。と、
長岡はまたも一面焼け野原に。
しかしまた不死鳥のように甦りました。

長岡市の市証は、長岡市の「長」の文字に
2度の戦火の中から甦った不死鳥のイメージを重ねた物です。


●長岡市と国内外の歴史年表
※この年表は長岡市のホームページに掲載の「長岡の歴史年表」
及び長岡市市政100周年 eライブラリーをもとに、
国内外の史実等を加筆・編集したものです。
時代 年代 長岡の歴史 国内外の歴史



(300万年前)
(100万年前)
(50万年前)
(3万年前)
最古の人類=猿人の登場
原人の登場
旧人の登場
新人の登場
旧石器時代 (2万年前) 五荘山・長峰団地西・大沢遺跡に石器が残される



草創期 (1万年前) 上の沢・藤橋蛇新田・雉子打場遺跡に石器が残される 日本列島の形成
早期 (9000年前) 七軒町遺跡が営まれ、竪穴住居がつくられる
前期 (6000年前) 金倉遺跡などが営まれる
中期 (5000年前) 馬高遺跡や岩野原遺跡に大規模なムラが現れ、火炎土器様式が流行する
後期 (4000年前) 三十稲場遺跡が営まれ、三十稲場式土器様式が隆盛となる オリエント青銅文化起こる
晩期 (3000年前) 東北地方を中心とする亀ヶ丘文化の影響を受けて、藤橋遺跡が営まれる 黄河流域に新石器文明
インド青銅文化



前期 (B.C3世紀) 北九州に弥生文化が成立し、米づくりが広がる
中期 (B.C1世紀) 尾立遺跡が営まれる
57 倭奴国王遺跡が後漢に朝貢(後漢書東夷伝)
後期 239 邪馬台国の女王卑弥呼が魏に朝貢(魏志倭人伝)
3世紀 横山遺跡に環濠集落が現れる 中国 三国時代



前半期 4世紀 麻生田古墳群がつくられる 大和国家成立
後半期 7世紀 大萱場古墳がつくられる 607 遣隋使の初め
630 遣唐使の初め
645 大化の改新



持統3~6 689~692 この間に越国が三つに分かれ、越後国ができる 694 藤原京に遷都
大宝2 702 越中国4郡(頚城・古志・魚沼・蒲原)を越後国に編入する 701 大宝律令
慶雲2 705 威奈真人大村が越後城司となる



710 平城京に遷都
712 古事記が書かれる
720 日本書紀が書かれる
宝亀9 778 西大寺領の荘園に古志群三枝荘がある



794 平安京に遷都
弘仁9 818 酒人内親王が古志郡の田地200町を東大寺に寄付し、土井荘が成立する
延長5 927 延喜式が撰修され、古志郡の神社として、三宅神社・桐原石部神社・都野神社・小丹神社・宇奈具志神社がみえる
応徳3 1086 院政始まる
元永元
~保安2
1118~1121 このころ、摂関家領に大島荘がある


1192 源頼朝征夷大将軍に(鎌倉幕府の成立)
永仁元 1293 時衆の他阿真教が蔵王堂で多くの人々を教化する。石内の極楽寺が開かれた、と伝える 鎌倉大地震 死者2万余人
嘉元4 1306 後宇多上皇が白鳥荘を昭慶門院に譲る


建武元 1334 このころ、円融寺に阿弥陀如来像を納めたと伝える 建武の新政(後醍醐天皇の新政~36)
 4 1337 足利尊氏が紙屋荘を九州の大友氏に与える



1338 足利尊氏、征夷大将軍となる(室町幕府)
正平7・
文和元
1352 蔵王堂で、尊氏方の石坂氏らが
南朝方の風間越後守と戦う
明徳3 1392 南北朝の合一
応永24 1417 釜沢の満願寺に、金銅製鰐口が寄附される
  34 1427 長尾長泉が古志郡の領地を、
孫の四郎左衛門入道に譲る
応仁1 1467 応仁の乱
文明2 1470 古志長尾家で孝景が家督を継ぐ
明応4 1495 古志長尾家の孝景が隠居し、房景が家督を継ぐ 1488 加賀一向一揆、守護富樫政親を滅ぼす
1489 京都大火、2000戸消失
1492 コロンブス、アメリカ大陸発見
1500 京都大火、2000戸消失
1502 若狭土一揆、守護武田父子を殺す
1512 関東地方大飢饉
永正4 1507 永正の乱が始まり、村松の円融寺が焼失する
  7 1510 このころ、関東管領の上杉顕定が越後へ攻め込み、
長尾為景方とはげしく戦う。
長尾房景は為景に味方し、蔵王堂で上杉顕定らと戦う
大積保が、長尾為景から上杉家の代官神余昌綱に与えられる
  10 1513 長尾房景は上田荘を攻める バルボア、太平洋を発見
  11 1514 房景たち為景軍は、上田荘六日町で守護方を討ち取る
  16 1519 長尾房景は、長尾為景とともに越中に出陣する
天文12 1543 為景の子景虎謙信)が栃尾城に入り、古志長尾家を継ぐ ポルトガル人、種子島に漂着(鉄砲の伝来)
  17 1548 長尾晴景が景虎(謙信)に家督を譲る
  19 1550 このころ、長尾景虎と上杉長尾氏が対立し、
上田勢が志度野岐荘の石坂口から攻め込む
ザビエル、平戸・京都・山口に伝道
弘治3 1557 関東管領の上杉憲政が小田原の北条氏に追われ、
越後にのがれる
永禄2 1559 長尾景虎が上洛し、近江で河田長親を家臣とする 狩野派確立
  4 1561 上杉謙信は、小田原に北条氏を攻め、鎌倉の鶴岡八幡宮に参詣して、関東管領就任を内外に示す
元亀2 1571 河田長親が小越与拾郎に片貝の地を与える 織田信長比叡山焼き討ち/厳島神社本殿建立
  3 1572 河田長親が越中国で一向一揆と戦う河田長親は越中金山城の椎名康種を敗り、謙信から越中太田下郷を与えられる
上杉謙信は富山城に河田長親の父元親を置き、長親を補佐させる
  4 1573 上杉謙信が越中に出陣し、古志の上杉景信に春日山城の留守を命じる 織田信長、足利義昭を追放(室町幕府の滅亡)





天正6 1578 謙信が急死、
養子の景勝と景虎が対立し、御館の乱が起きる
芹川で景勝方と景虎方兵が激しく戦う栖吉衆の小越宮内丞は、河田長親から古志郡に領地を与えられる
天正8 1580 上杉景勝が蔵王堂城・栖吉城を攻撃する。
河田長親が越中松倉城で病死する
  10 1582 武田氏滅ぶ(勝頼自殺)
織田信長自殺(本能寺の変)
  12 1584 上杉景勝が、栖吉衆の若林助左衛門尉と山田修理亮に与えた領地を郡司不入とする 小牧・長久手の戦い
文禄5 1596 丸田俊次が蔵王堂の東西町の代管に任命される
このころ、蔵王堂町は信濃川の船運の利権をめぐって、魚沼の江口・堀之内と争う
慶長2 1597 上杉景勝が検地を行う。
古志郡では武士の領地が再編成され、
蔵王堂・栖吉の普済寺などの寺社の領地も調べられる
慶長の役(97~98)
  3 1598 上杉氏は会津への国替えを命じられる。河田親詮(のうち正親)らも会津へ移り、田村郡の郡代を務める
豊臣秀吉が堀秀治を越前北庄から春日山に移す。堀秀治の弟堀親良が古志郡蔵王堂城に入り、4万石を領知する
  5 1600 関ヶ原の戦いが起こる
  7 1602 堀親良が隠居し、兄秀治の二男鶴千代を養子に迎える。
魚沼郡坂戸城から堀直竒が蔵王堂城に入り後見する
二条城 成る



  8 1603 徳川家康が征夷大将軍戸なり、江戸幕府を開く
  10 1605 堀直竒が蔵王堂渡りを長岡町に移し、このころから長岡に新城の築像を始める
  15 1610 堀直竒が信州飯山に転封される。松平忠輝が越後を支配する 名古屋城 成る
足尾銅山発見
元和2 1616

松本忠輝が所領を没収される。
堀直竒、蔵王堂城8万石を領知
徳川家康死去(75歳)
欧船の来航を平戸・長崎に制限
元和4 1618





堀直竒が越後本庄(村上)へ転封され、牧野忠成が長岡に移り、長岡藩初代藩主となり6万2000石を領知する
  6 1620 牧野忠成が栃尾郷1万石を加増され、
知行高7万2000石余となる
寛永元 1624 高田藩主松平忠昌が越前福井に移され、
松平光長が福井から高田に入る
日光東照宮陽明門建立
  2 1625 牧野忠成が新開地2000万石余を認められ、
7万4000石の知行高が確定する。
  11 1634 牧野忠成が与板1万石を二男武成に、三根山6000石を
四男定成に分与し、与板組を本与板組と改める
  16 1639 鎖国の完成
正保4 1647 親沢村が高田領より長岡領へ領知替えされる
慶安元 1648 幕府が蔵王権現社領として朱印地高300石を奇附する
  4 1651 福島江が完成するという 徳川家光死去(48歳)
承応2 1653 西福寺の町政事務所を廃し、町役人の家の持ち回りとする
明暦元 1655 牧野忠盛が将軍徳川家綱の裁定で、家督相続を認められ第2代藩主となり、忠成(のちの忠成)と称する 加賀九谷焼起る
寛文2 1662





上組・下組のうち信濃川以西の村を川西組に編成する
延宝2 1674 牧野忠辰が第3代長岡藩主となる
「諸士法制」を制定、藩が初めて家中に倹約令を出す
  7 1679  


林家門人小出良達が長岡藩の儒臣となり、
藩の儒学の基礎を築く
天和元 1681 高田城二之丸受取りを行う 綱吉、越後騒動(高田藩)を裁許し
松平光長を除封、小栗美作を切腹に処す
元禄15 1702 与板藩主牧野康重が小諸へ移封となる 全国絵図成る
忠臣蔵の討ち入り(浅野遺臣、吉良義央を討つ)
  16 1703 上組の内、種苧原・虫亀・蓬平など二十村郷と三島郡灰下村が幕領となり、北組・上組で村替えが行われる 大石良雄等、赤穂47士の切腹
 正徳5 1715 蔵王権現社、蔵屋敷の跡地(現金峰神社の地)に移築整備される この頃全国的に寺子屋が普及し庶民教育が進む
1721
亨保9 1724


寿
藩が頚城・三島・刈羽・古志・魚沼郡のうち6万4000石を預かる 近松門左衛門死去(72歳)
  13 1728 長岡町大火(三蔵火事)で幕府から7000両を借用、
家中から知行高の半分を借り上げる
ベーリング海峡発見
  18 1733 京都の吉田家から前藩主忠辰に
蒼紫明神の神号が贈られる
江戸米一揆
1735
元文元 1736


藩が町民への衣食住倹約令を出す
  3 1738 大洪水、大飢きん、領内損毛高4万3000石余
  5 1740 表町通りに雁木かけが命じられる
1746
寛延元 1748


左近の大土手竣工 仮名手本忠臣蔵
宝暦3 1753


山本老迂斎、「牧野家譜」編修
  4 1754 宝暦の飢きん(~宝暦6)、
長岡城本丸(三蔵火事で焼失)を再築
1755
  10 1760


頚城郡・古志郡・魚沼郡・蒲原郡・刈羽郡の
計5万石の領地を高田藩に引き渡す
蓬平村・濁沢村・長岡藩預り所となる
(宝暦13年幕領にもどる)
  明和3 1766 牧野忠精家督相続、第9代藩主となる
  8 1771


忠辰に大明神の神号が贈進され、蒼紫大明神と称される
天明元 1781 大雨で左近土手が破堤し、城下に浸水、城内の水深9尺余、死者、家の流失多く、領内損毛6万5000石余
悠久山に蒼紫大明神社殿(悠久山御社)を建立し、城内から牧野忠辰の霊を移す
  3 1783 凶作、天明の大飢きん(~天明4年) 浅間山噴火
寛政元 1789 三島郡下除・王番田・上河根川村と古志郡南新保村・福道村が長岡領から幕領に替わる
洪水で城内浸水深さ8尺余、郷中流家・潰家585戸、溺死4人、損毛高6万6800石余
淀領の浦村など8か村が長岡領となる
享和元 1801 第9代藩主牧野忠精が老中に就任
文化元) 1804 木喰上人、白鳥村の宝生寺と上前島で、観音像と自刻像を完成させる
藩が北・西・上組に村々の商業停止と農業への復帰を命じる
出羽大地震、象潟湖崩れる
  5 1808 藩校崇徳館創立される 間宮林蔵が樺太探検
文化13 1816 10月 牧野忠精老中を辞任
文政元 1818 大積・宮本・下除・王番田が長岡領から
出羽国上山領となる
灰下村が幕領から上山領になる
伊能忠敬死去(74歳)
  11 1828 信濃川の下流域一帯に大地震が発生(三条地震) シーボルト事件(幕府天文方が日本地図を送り処刑される)
天保元 1830 江戸幕府の上屋敷に、
江戸幕府の子弟教育の就正館設けられる
藩が天保の改革を開始
京畿大地震
水戸斉昭の藩政改革
天保2 1831 牧野忠精が老中を辞任、
同月牧野忠雅家督を相続し、第10代長岡藩主に就任
藩が借財の元利返済を一時凍結する
全国総石高調査
十返舎一九死去(67歳)
  7 1836


朱子学派の高野松陰、秋山景山に代わり崇徳館都講となる
長雨で大凶作、長岡城下に困窮者が入り込み、冬には行き倒れや死者も出る
水戸斉昭、砲台を築く
真田幸貫、大砲を72門鋳造
  8 1837 城下への流民1000人に上る
中島と大工町に小屋を建てて流民を収容、町民の負担で粥を支給
西新町長福寺に「餓死万霊塔」建立される
大塩平八郎の乱(大阪)
生田万の乱(柏崎)
  14 1843 幕府が長岡藩に新潟町の上知を命じる
10代藩主牧野忠雅が老中に就任
水野忠邦失脚し阿部正弘、老中主席となる
弘化元 1844 幕府の指示により、藩が新潟の五十嵐浜、越前浜などの警備人数を増加する
藩が城外で軍事訓練を始める
長岡町大火で城下町のほとんどを焼失(俊治火事)
間宮林蔵死去(70歳)
  2 1845 藩主忠雅が幕府老中兼海防掛に任じられる
木曽恵禅が長永寺に囂外黌を開き、宗学と漢学を授ける
  嘉永3 1850 藩が諸組新田取調掛を設けて、新田開発を奨励
小林虎三郎が佐久間象山の門に入り、蘭学と砲術を学ぶ
国定忠治処刑(41歳)
  5 1852 大坂の緒方洪庵の適々斎塾に、藩医小山良運が入塾 徳川慶篤、大日本史を朝廷及び幕府に献上
  6 1853 ペリー浦賀来航
安政元 1854 小林虎三郎が下田開港に反対し、神奈川開港を老中牧野忠雅に進言し、帰藩・謹慎を命じられる 日米・日英・日露和親条約
  4 1857 牧野忠恭が家督を相続、第11代長岡藩主となる 幕府、講武所内に軍艦教習所開設
1858
  文久3 1863


藩が佐渡警備のため藩兵230人を新潟に駐屯させる
牧野忠恭が老中に就任
藩主忠恭が外国事務取扱となる
薩英戦争(生麦事件の報復として鹿児島が襲撃される)
元治元 1864 表一ノ町の紅屋(紅屋重正)が藩の菓子御用達となる 禁門の変(蛤御門の変)
佐久間象山害死(54歳)
慶応元 1865 河井継之助が外様吟味役から郡奉行に任じられる
  2 1866 藩主忠恭が第二次長州征討に出兵を命じられ、
大坂に向け藩兵を率いて江戸を出発
長岡蝋座跡地に寄場を設ける
薩長同盟の密約
  3 1867 牧野忠訓が家督を相続し、第12代藩主となる
河井継之助が家老職に任命される
崇徳館の寄宿舎造士寮が設立される
河井継之助が藩主の名代として上京、
京都御所へ建言書を提出
大政奉還
王政復古の大号令
慶応4 1868


鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争始まる)
河井継之助軍事総督となる
藩兵出兵し、摂田屋村光福寺に本陣をおく
河井が小千谷の慈願寺で新政府軍の岩村軍艦らと会見、会談決裂
長州藩兵と薩摩藩兵が城下に侵入し、長岡城落城
新政府軍の総攻撃で長岡城が再度落城し、藩兵とその家族八十里超から会津へ落ちる



明治元 1868


新政府が牧野鋭橘の相続を許し、2万4000石の新領をもって長岡藩の再興を許す 明治維新
五箇条の御誓文
  2 1869 長岡民政局が長岡藩の再興にともなって脇野町に移る
藩が四郎丸村の昌福寺に国漢学校を開校
版籍奉還が勅許され、藩主忠毅が長岡藩知事に任命される
役職を選挙し、大参事に牧野頼母・三島億二郎・小林虎三郎が選出される
このころ、岸宇吉がランプ会を自宅で開く
東京遷都
五稜郭の戦い(戊辰戦争の終結)
  3 1870 国漢学校を昌福寺から坂之上町に移し、洋学局・医学局を新設、このころ三根山藩から米100俵がおくられる
長岡藩が廃藩され、柏崎県に合併される

ちなみに当時(現在の新潟県に)存在していた県は、
高田、与板、椎谷、清崎、新発田、村上、黒川、峰岡、
三日市、新潟、佐渡、柏崎など
  4 1871 国漢学校が廃止され分黌長岡小学校となる
長岡市中学校が表四ノ町の旧町会所に開校する
廃藩置県
岩倉使節団欧米へ出発
  6 1873 長岡会社病院が坂ノ上町に開院する
柏崎県が廃止され長岡は新潟県に属す

現在の形の新潟県が出来上がる。
徴兵令
地租改正条例
  9 1876 長生橋の通行が有料で始まる
  11 1878 明治天皇が北陸巡幸で長岡を訪れる
三島億二郎・岸宇吉らが長岡第六十九国立銀行を開業
  12 1879 千手町八幡神社の祭礼で花火が打ち上げられる
  15 1882 大平与文次らが「長岡日報」を発行する長岡商会の三島億二郎・遠藤亀太郎・岸宇吉ら10人が北海道の視察に出発 立憲改進党結成(大隈重信)
  21 1888 小坂松五郎・品田友七らが北越石油会社を設立する 市制・町村制開始、枢密院設置
  22 1889 町村制の告示により古志郡が51町村、
三島郡が43町村になる、
星野嘉保子が坂ノ上町に私立長岡女学校を開校する
大日本帝国憲法発布
  25 1892 山口権三郎らが私立実業学校を坂ノ上町に開校する
  27 1894 日清戦争(~1895)
  28 1895 新潟県農事試験場が坂ノ上町に設置される 下関条約、三国干渉(リャオトン半島返還)
  29 1896 大水害が起こり市内のほとんどが浸水する山口権三郎・広井一らが株式会社長岡銀行を開業する
  31 1898 沼垂-直江津間の北越鉄道が全通する
  33 1900 新潟県女子師範学校が東神田町に開校する
広井一らの呼びかけで長岡経済会が発足する
岸宇吉・鷲尾庄八らが株式会社長岡製油所を設立する
治安警察法
立憲政友会結成
  34 1901 六か町村が合併して長岡町になる耕地整理事業が古志郡富曽亀村新保・古志郡上組村摂田屋で初めて実施される 八幡製鉄所開業
社会民主党結成
  36 1903 古志郡立長岡高等女学校が開校する
  37 1904 日露戦争(~1905)
  39 1906


長岡に市制が施行される牧野忠篤が初代市長に就任する宝田石油株式会社が長岡鉄工所組合を西神田に設立する長岡郵便局内に電話交換局がもうけられ市内の電話が開通する 南満州鉄道株式会社創立
41 1908
  42 1909


新潟県立工業学校が設立される
  43 1910 長岡市立商業学校が開校する
長岡市大煙火協会が発足する
日韓併合条約



大正3 1914 第一次世界大戦(~1918)
  5 1916 長岡鉄道の西長岡-寺泊間が開通する
栃尾鉄道の長岡-栃尾間が開通する
  6 1917 令終会が悠久山の整備を始める(8年に悠久山公園が完成)長岡開府三百年祭が開催される野本恭八郎の寄附により互尊文庫が竣工する
8
  10 1921

宝田石油株式会社と日本石油株式会社が合併し本社を東京に移す長岡市が四郎丸村と合併する
  11 1922 長岡市農会が中心となり五十の市が始まる   
  13 1924 長岡高等工業学校が開校する
栃尾鉄道の長岡-悠久山間が開通する
大手通りが長岡市のメインストリートとしてその姿を一新
15 1926 長岡市公会堂完成

昭和2

  4 長岡城趾の碑建立
  6 1931



上越線の宮内-高崎間が全通する 満州事変
  10 1935 長岡市会で市是として工業立市の方針が打ち出される
長岡市が蔵王・城岡地区の工業団地造成事業に着手する
  12 1937 長生橋が鉄橋になる 廬溝橋事件、日中戦争開始
  16 1941


太平洋戦争(~1945)
  17 1942 長岡銀行と六十九銀行が合併し、長岡六十九銀行になる
  18 1943 山本五十六連合艦隊司令長官が、ブーゲンビル島の上空を飛行中に撃墜され戦死する長岡商工会議所が解散する
  20 1945


長岡空襲 新潟県が長岡復興建設事務所を開設する
田村文吉が第8代の長岡市長に就任する
太平洋戦争終戦
  21 1946


長岡復興建設部を設置する 復興祭が行われる
(26年には、長岡まつりと改称する)
公職追放例、東京裁判
日本国憲法発布
  22 1947 松田弘俊が民選の初代市長(第9代)に就任する 10年ぶりに花火大会が信濃川の中洲で行われる 昭和天皇が長岡を訪れる 633制新教育実施
  23 1948


長岡六十九銀行が北越銀行と改称する
内藤伝吉らの寄附を受け互尊文庫が明治公園内に新築
世界人権宣言
  24 1949 積雪科学館が長岡工業専門学校の科学工業博物館を借用して開館する 中華人民共和国建国
  25 1950 田村文吉らの寄附により科学博物館が悠久山に開館する 警察予備隊設置
  26 1951 城岡駅が北長岡駅に改称する
長岡まつりの花火大会で14年ぶりに三尺玉
平和像が駅前広場にできる
サンフランシスコ平和条約
日米安全保障条約
  29 1954 長岡市が宮内町、上川西・深才・日越・王寺川・十日町・山本・黒条・新組・福戸・下川西・六日市村の一部と合併する MSA協定
自衛隊発足
  30 1955 内山由蔵が第10代の長岡市長に就任する 市制50周年・戦災復興10周年を記念し、原子力平和利用博覧会が開催される 新市庁舎が柳原町に完成する 米軍基地反対闘争
  32 1957


長岡市が関原町と合併する 世界初の人工衛星(ソ連)
  33 1958 大型の百貨店の株式会社大和長岡店が出店
戦災殉難者慰霊塔が平潟神社境内に完成
山本記念公園が完成、厚生会館が完成
  34 1959 本HP主催者=TMR生誕(笑)
  36 1961 大雪(三六豪雪)で交通機関が麻痺し市民生活が大混乱する 長岡地震が起こる 6月から8月にかけて3回の水害が起こり大きな被害が出る 消雪パイプが試験的に敷設される
  37 1962 長岡工業高等専門学校が開学する 八方台休暇センターが完成する 上村清五郎が第11代の長岡市長に就任する
  38 1963



大雪(三八豪雪)で交通機関が麻痺
長岡市議会が全国で初めて無雪都市宣言を決議する
  39 1964 長岡近代美術館が開館(のちに長岡現代美術館と改称) 東京オリンピック、東海道新幹線開通
  41 1966 小林孝平が第12代の長岡市長に就任する
  43 1968


長岡市郷土史料館が悠久山に開館する
  45 1970 長岡セントラルパークが完成する 長岡大橋が開通する 核兵器拡散防止条約、大阪で万国博覧会
  46 1971 長岡女子短期大学が開学(48年に長岡短期大学と改称) 環境庁設置
  47 1972 沖縄本土返還、日中共同声明
  48 1973 越後交通株式会社が越後交通栃尾線の栃尾-上見附間、
長岡-悠久山間の営業を廃止する
長岡市立劇場が開場、長岡市営スキー場、開設
第4次中東戦争、石油ショック、狂乱物価
  51 1976 長岡技術科学大学が開学する(53年に開校)
  52 1977 新市庁舎が幸町に完成する
  53 1978 北陸自動車道の新潟-長岡間が開業する 日中平和友好条約
  55 1980 新長岡駅・長岡駅ビル「セゾン・ド・ナガオカ」がオープン
  57 1982 上越新幹線の大宮-新潟間が開業する
59

  
  3 1991



産業交流会館(ハイブ長岡)が完成する 湾岸戦争、ソ連解体、雲仙大火砕流
  4 1992 藤橋歴史の広場がオープンする PKO(国連平和維持活動)法
  5 1993 新潟県立近代美術館が開館する 米の一部自由化
  6 1994 長岡造形大学が開学する 関西空港開港
  7 1995 長岡の人材教育の試行が始まる(~9年) 1月:阪神淡路大震災,3月地下鉄サリン事件
  8 1996 長岡リリックホールオープン
11
  12 2000

  
県立歴史博物館オープン
  13 2001 5月:小泉首相が所信表明に「米百俵」を引用
9月:「米百俵」歌舞伎座で公演
ながおか市民センターオープン
男女平等推進センター「ウィルながおか」オープン
1月:アメリカ同時多発テロ
  15 2003 eネットシティながおか情報提供サービススタート
  16 2004 7月:7・13水害(新潟・福島豪雨)、災害対策本部設置
 長岡市の被害総額 約19億5千万円
9月:長岡市・中之島町・越路町・三島町・山古志村・小国町  の6市町村合併協定に調印。
10月:北魚沼郡川口町を震源とする M6.8の新潟県中越地震が発生し長岡市域にも甚大な被害。
  17 2005 8月:長岡まつりで震災復興祈願花火「フェニックス」打ち上げ(3日も)
  18 2006 長岡市、和島村、寺泊町、栃尾市、与板町が合併
  19 2007 4月:特例市に移行
7月:新潟県上中越沖を震源とする M6.8の新潟県中越沖地震。長岡市域にも多大な被害。
  21 2009 長岡市厚生会館を廃止及び解体 政権交代(日本=民主党へ、米国=オバマへ)
  22 2010  3月:北魚沼郡川口町を編入   
  24 2012 4月:市役所本庁舎を幸町から大手通のアオーレ長岡(旧厚生会館跡地)に移転 5月:東京スカイツリー開業